もう一度読んでみたい、子供の頃の愛読書

アーサーランサムからは大きな影響を受けました。アウトドアやバードウォッチングに興味を持ったのも、潜在的にこの小学校の時の愛読書の影響もあったかもしれません。休暇の開放感、自然の中で遊ぶ楽しさ、想像力を駆使することetc.時代を超えて楽しさが伝わ
ってきます。今思い出してみると、あの子たちはどこにいってもお茶にミルクが必需品で、いかにもイギリスっていう生活してるし、「女海賊の島」あたりは、中国人に非常に失礼な書き方してるような気がしますが、そんな点も差し引いても大人になってから読んでも楽しいですね。ところで、この中でマグソダカというのが出てきますが、ノスリって訳さなかったのはなぜだろう。

もういちど読み返してみたいのは「ドリトル先生」実は「ドリトル先生アフリカ行き」をこの間から図書館から借りて読みました。あと「航海記」はこの間紀伊国屋で英語版を見つけて買いました。しかしこれも黒人に対する偏見がかなりあります。バンポのお父さんは、無知で野蛮な土人のようだし、バンポは人は良くて力は強いけど頭が足りない。もっともドリトル先生の一番尊敬するのはインディアンでしたが。映画版のエディーマーフィーのドクター・ドリトルは原作ヒュー・ロフティングと書いてあったけど、全くのオリジナルストーリーですが、なかなか楽しいコメディでした。動物と話ができたら楽しいだろうというのは現代でも同じですものね。ただ、現代の野生生物が人間と話ができたら・・・「タンカーぶつけたら海の掃除して行けよな!」「われわれのすみかがなくなったぞ!!」「おまえらの勝手な好みで、かわいいだとか気持ち悪いだとか決めつけるな!!!」

ドリトル先生の名前の語源はDo littleなのですが、辞書を引くと「なまけ者(の),怠惰な(人)」ってな意味が出ています。「日本語に訳すと”やぶ先生”でしょうか」と、下訳者の石井桃子氏はアフリカ行きのあとがきで書いているのですが、それが結構腕のいいワーカホーリック気味の人間の医者で、また同じあとがきの中にドリトル先生には黒人蔑視的な表現が見られるので、シリーズの多くはアメリカでは発売されてないということも書かれていますが、それがエディーマーフィ主演で舞台はアメリカ(たぶん)というのも、味なシチュエーションです。

大草原の小さな家も今読むと、インディアンへの偏見が目に付いてしまいますが、小さなころわくわくして読みました。特に生き生きとしているのが、ネリー・オルソンの描き方。ネリーは実在のふたりの人間の合成だそうですけど、お高くとまって先生に告げ口をしてローラを困った立場に追い込む場面や、ネリーのデートを邪魔するシーンを読むと、ローラがネリーを嫌った気持ちが伝わってきます。

ナルニア物語は、キリスト教の影響を受けているという話を聞いたことがあるのですが、たしかにアスランは一度自らを犠牲にして死に、その後復活しました。そういわれてから一部読み返してみたのですが、キリスト教の素養のない私には、今ひとつぴんと来なかったです。が、クローゼットの奥は別世界という発想は今でも好きです。

もうちょっと大きくなってから読んだ「赤毛のアン」は自然描写が美しいです。個人的に私はアメリカのニューイングランド地域が好きなので、国境を隔てたカナダ側のこのプリンスエドワード島も親しみを感じます(いったことないけど)、ただモンゴメリの自然描写は、ちょっと装飾過剰で読みにくい所もあります。翻訳の課題でごく一部だけを訳したことがあるのですが、ひじょうに苦労しました。

舞台がニューイングランドそのものの若草物語も、もういちど読みたいな。ニューイングランドの景色が見たくて、映画化されたとき見に行きました。ちょうどアメリカに行く前だったし。

ピーターラビットシリーズも、ポターの絵がすてき。動物がたくさん登場するイソップ童話も別の意味で楽しそうですね。日本のものだったら宮沢賢治でしょうか。ぽっぺん先生シリーズも好き。

冒険者たちシリーズは薮内正幸さんの絵の印象が非常に強いので、アニメを一回だけテレビで見たことがあるのですが、同じものだと気が
つくのにしばらくかかりました。白いイタチ「ノロイ」をやっつけるシーンだったのですけど。

そう考えてみると、子どもの本って、ストーリーがしっかりしていることももちろん重要ですが、挿し絵の印象ってのも大きいです。

「秘密の花園」は、花園(今はやりのイギリス庭園かな)とディコンという生き物が好きな男の子による、わがままで寂しい女の子と男の
子の「癒し」の話でしょうか。大人になって読んでみると教訓的なところが、「ちょっと出来過ぎてない〜」ってな気がしてしまいますが、まあ人は自然や友達との出会いで変わって行くのはたしかだろうなあ。わがままなメアリーもコリンも、要するに親に愛されず、家庭を知らなかった子どもなんで、現代の家庭の崩壊が子どもに影響を与えて問題が生じているとかいってるけど、100年前からそういう状況はあったんですよね。

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