日本の絵画などに見るコウモリ

 現実のコウモリの姿や行動や生態からくるイメージとは全く無縁なシンボルもある。中国ではさまざまな生き物を不老長寿、立身出世、子孫繁栄といった願いを込めて吉祥といい、美術品や着物や簪などの小物のデザインに使われているが、蝙蝠は『蝠』が『福』と同じfuという発音になるので14世紀頃から幸福を象徴し、明や清の時代の物によく見られる。

単独で使われることは少ないが、1匹の図が子どもでは衣装の模様として、女性ではかんあしやアクセサリー、貴重品入れのワンポイントにもなる。向かい合わせに2匹を組み合わせた「双福」も好まれる。
 5匹が羽を広げて輪になったのは「五福臨門」。長寿・富裕・幸福・美徳・健康、別の説に福・禄・寿・喜・財を「五福」といい、我が家に五福の訪れることを願って、その絵を家の中に飾る。日本で床の間に掛け軸を飾る感覚であろう。「五福捧寿」の絵もよく知られる。長寿の老人を祝って、蝙蝠の衣装を着て蝙蝠になりきって5人が舞う姿で、めでたい図柄である。福禄寿は縁起のいい言葉であるが、蝙蝠の「福」に伴せて、「禄」と同音の「鹿」に、「寿」を表すのに桃の実、頭の大きい福々しい寿老人を描き足せば、福禄寿のめでたい図柄である。飛んでいる蝙蝠を童子が捕まえて、壺の中に入れる図は好んで描かれる。赤い色の蝙蝠が多い。赤に魔除けの力があると信じられているからである。(中国シンボル・イメージ図鑑 王敏・梅本重一編 東京堂出版)
紅と洪の発音が同じなので赤い蝙蝠は「洪福」すなわち大きな幸福を意味するとも考えられる。


 貨銭に飛翔の蝙蝠を描いたのが、「福在」の図。裕福になる願いが込められる。蝙蝠と「寿」の字をシンボリックにした図柄の「福寿重層」も好まれる。
 蝙蝠は、世界の各地で、ネガティブな生き物に思われることが多いが、中国では夜間飛びまわるところから、暗闇の魑魅魍魎に打ち勝つ魔除けのシンボルでもある。裏腹に、夜間の飛翔によって、暗い、陰気なイメージもついて回っている。(中国シンボル・イメージ図鑑 王敏・梅本重一編 東京堂出版)

 國立故宮博物院の工芸美術などを見ていると、コウモリがあちこちに見られて嬉しくなる。中国の皇帝の礼装にも龍と共にコウモリの文様がよく使われている。

 この吉祥は周辺のアジアの国々に伝わり、韓国やマレーシアなどでも蝙蝠のデザインを見かけることがある。

 日本でも江戸時代の刀の柄や着物に見られる。七代目團十郎はコウモリが好きで着物の柄にも取り入れていたという。歌川広重や歌川国貞の浮世絵に見られる芸者の裾模様に蝙蝠模様があるのをみてもわかるように、この時代の最先端のはやり柄だったのだ。
桜川慈悲成 「七代目市川団十郎の暫」
Ichikawa DanjuroVII (Nanadai Ichikawa Danjuro) – Objects – RISD MUSEUM

金茶八橋織綾地蝙蝠模様友禅染小袖」は金こん色の着物地の衿先えりさきから褄先つまさきにかけて黒と青のコウモリが友禅染で染め上げられています。コウモリはそれぞれ表情が違い、金や青の糸で縁取られたり、目の部分のみ刺繍されたりして凝っている。 国立歴史民族博物館 蔵

擬人化したユーモラスなコウモリ

この浮世絵は、江戸時代に庶民の間で流行った、遊女・役者・力士などや風景を描いた肉筆・版画の絵画で、遊び心あふれる擬人化されたコウモリがいくつもある。例えば歌川国芳にはコウモリが歌舞伎の「助六」を始め歌舞伎を演じる絵がいくつかある。

八つ当たりどうけかふもり 和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム
道外(どうけ)十二支 卯のだんごや 月夜の晩のウサギのだんごや。空には二匹の蝙蝠 ボストン美術館所蔵
忠臣蔵を演じる蝙蝠6枚
美家本武蔵 丹波の国の山中にて年ふる野衾を斬図 蝙蝠之姿の野禽を退治する宮本武蔵 このページの下


歌川国芳の弟子、歌川芳藤(よしふじ)や河鍋暁斎(きょうさい)、月岡芳年(よしとし)、落合芳幾(よしいく)にもそれぞれユーモラスなコウモリを描いた作品がある。

月岡芳年の蝙蝠之五段目
河鍋暁斎 画『暁斎楽画』坤,武田伝右衛門,明14.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12132545 (参照 2023-01-15)コウモリが歌舞伎の「助六」を演じている。色男の助六と恋仲の遊女揚巻をめぐって張り合う嫌われ者、髭の意休もコウモリ。太田記念美術館で9/4より開催の「没後160年記念 歌川国芳」などなど
芳年『蝙蝠之五段目 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1312840 (参照 2023-01-15)より転載

月岡芳年(つきおかよしとし)
江戸時代後期〜明治時代にかけて活躍した浮世絵師 月岡芳年(つきおかよしとし)。歌川国芳に師事。河鍋暁斎(かわなべきょうさい)とは兄弟弟子の関係。
忠臣蔵の五段目をコウモリが演じている。こうもり傘とコウモリをかけている?

河鍋暁斎 暁斎楽画より
反骨の画家河鍋暁斎 とんぼの本 新潮社(2010)狩野博幸 河鍋楠美より

7歳(天保8年1837)で歌川国芳の画塾に入って学ぶが2年でやめる(暁斎の父が国芳の放縦な生活ぶりを案じた?)び10歳(天保11年1840)で駿河台狩野派の前村洞和に入門。前村洞和が病気で倒れたので教わったのは一年だけ。以降は洞和の師匠、洞白の門に入り19歳(嘉永2年1849)に「洞郁陳之」の号を賜り修行を終える。通常は10年ほどかかるところを8年ほどで卒業。
河鍋暁斎 画『暁斎楽画』坤,武田伝右衛門,明14.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12132545 (参照 2023-01-15)

河鍋暁斎 画『暁斎酔画』初編,求古探新書房,明15-24. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/850347 (参照 2023-01-16)

落合芳幾も歌川国芳の弟子である。その「諸鳥(しょちょう)芸づくし」は鳥たちが芸をする絵だが、コウモリも混じって烏帽子をかぶって三番叟(さんばそう)という舞いを踊り、ここだけ「わたしも鳥の仲間さ ご愛敬にちょいと出ました」というセリフが入っている。


コウモリの酒盛り 国酒デジタルミュージーアムから所有は国立博物館

左右のコウモリが拳という酒遊びをしている。じゃんけんのようなゲームで、負けた方がお酒を飲むらしい。
絵師:長谷川雪旦、雪堤
出版年月:江戸後期(1800年代前半)


通常の浮世絵にもコウモリはいます。
絵師:小原古邨
作品名:Flying Bats
日付:Early 20th century.
詳細と価格:小原古邨: Flying Bats - Artelino
情報源:artelino - Japanese Prints

The silhouette of a flying bat in a full moon night.
https://ja.ukiyo-e.org/image/artelino/40929g1
https://data.ukiyo-e.org/artelino/images/34326g1.jpg


蝙蝠の家紋
国立国会図書館デジタルコレクションに収められている、京都染物同業組合紋上絵部 編 (京都染物同業組合紋上絵部平安紋鑑刊行部, 1936)「全国紋章之規劃統一平安紋鑑」という家紋集から


江戸川柳に「顔見世に蝙蝠親子羽根をのし」が残っている。
千葉県松戸市にある徳川水戸家の別邸「戸定邸」には欄間の一部に蝙蝠の透かし彫りが施されている。
戦前のたばこの銘柄「ゴールデンバット」は幸せを呼ぶ紫煙を意味して、「バット」(蝙蝠の意)と命名されたのであろうか。
中国シンボル・イメージ図鑑 王敏・梅本重一編 東京堂出版



那覇市歴史博物館所蔵の黄色地鳳凰蝙蝠宝尽青海立波文様紅型綾袷衣裳(きいろじほうおうこうもりたからづくしせいがいたつなみもんようびんがたあやあわせいしょう)
は琉球の王子の衣装だが、中国と交流が深かったので影響を受けたのだろう。沖縄らしく紅型でオオコウモリのデザインだ。(→那覇市歴史博物館デジタルミュージーアム



中国の影響を受けたコウモリブームとは別に、日本の神話では、非常に年をとったコウモリは、夜間に犠牲者の顔に降り立ち血を吸うムササビに似た霊獣、野衾に変身することができるという。「美家本武蔵 丹波の国の山中にて年ふる野衾を斬図」歌川国芳による浮世絵で「美家本武蔵 丹波の国の山中にて年ふる野衾を斬図」として、宮本武蔵がコウモリのような姿をした野衾を退治する姿が描かれている。

 

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