GIVE ME ONE DOLLAR TO EACH OF US

 ツツイラ島の東の端にアウヌウ島という小さな島がある。面積はわずか3平方キロメートル、人口500人ほど。地図で見たときに、「あ、南大東島だ。」と思ったのは、池が二つあったからだ。古い噴火口らしい。
 対岸のアウアシという集落との間を小さな双胴船が行き来している。港の前の売店で、どうやってあの島に渡るのかと聞こうとして"How"と言ったら、待っていれば船が来ると返事があった。楽な英会話だ。1人1$で所要時間は10分ほど。特に運行ダイヤなどないようだ。数人お客を乗せてきては、すぐに折り返していく。

 11時過ぎにアウヌウ島についた。目の前に立派な教会があり集落が広がっている。この島には車がないので、踏み跡程度の道しかない。どっちを向いても家が並んでいるだけなので迷っていると、7人の子供たちが、教会の敷地を抜けていくようにと、さかんに手招きしている。子供たちの行く方へ歩いていくと、そばにたむろしていた大人が、サモア語で子供たちに何か言った。どうやら「行くな」と言ったようで、いったん子供たちは消えてなくなったが、集落の中を歩いて家々の間を抜けていく間に、いつの間にか現れて前になり後ろになりついてくる。
 タロイモ畑になっている湿地を通り抜け山に登る。ヤシの葉で編んだ籠を天秤のように棒の両側にぶら下げて、タロイモを収穫してきた若い男性が向こうから来た。ラバラバ姿はなかなか様になっている。子供たちが写真を撮れ撮れというので、撮ってもいいかと聞いてみたらOKだった。
 更に子供たちは、自分たちの写真を撮れ撮れと言う。水が欲しいという者、われわれの双眼鏡を覗かせてくれという者、大騒ぎしながら外輪山(といってもほんの数十メートル)を登り、火口の縁に出た。
 一番年上と思われる10歳くらいの女の子が、"Give one dollar to each of us."と突然言う。実は、子供たちがべたべたとへばりついてくるのが最初からちょっと気になっていたのだが、金をくれというわけである。何と返事をしたものかと躊躇していると"Do you know one dollar?""Yes"(アメリカンサモアの通貨は合衆国と同じだから知っているに決まっている)女の子は一人一人を数えるジェスチャーをして、7人いるから7$くれという。"No,"というと他の子も"Give me one dollar"と口々に言う。自分だけでもいいからよこせというやつもいる。 アメリカンサモアの子供たちは、こんな離島でも小さな子供までみごとにバイリンガルで、お互いに話しているときはサモア語、われわれに向かって話すときは英語と楽々と切り替えている。何度言われても"No!"なのだが、この後外輪山をぐるっと回って海が見えるところまで、しつこく金くれと言われながら歩いていく。目の前をグンカンドリが飛んでいく。
 子供たちはもっと遊んでいたそうだったけど、「金くれ」の合唱も止まらないし、いくら"No!"と言ってもあきらめずについてくるし、どうも自由に歩けそうにないので、「われわれは行かなくてはならない、あなたたちは来なくてもいいけど、来ないのなら双眼鏡を返すように」(われわれの双眼鏡は彼らが持っていた)というと、くたびれただの喉が渇いただのアイスクリームを買うから金をくれといって座り込んでいた彼らは、やはりついてくる。なぜか腹が立つと英語が口からちゃんと出てくる。"How"だけで島への道のりを聞いたのとは大違いだ。
 途中で、昼食に持ってきた、大きなパイナップルパイとドーナツをみんなで分けて食べる。みんなで分け合って無邪気なものだが、この間もしょっちゅう1$くれという。なぜか値下げしてGive me one dime(=10セント).と言っているのもいる。
 しばらく歩いて集落に近づいたあたりで、突然われわれに双眼鏡を返し、「われわれは家に帰るから」と行って、急に「バーイ」と別の方向へ歩いていってしまった。あれほどしつこかったのにどうしたのだろう。最初大人についていくなと言われていたようだったが(サモア語なのでわからないが)集落までくっついていくと大人に怒られるのだろうか、などと言いながら歩いていくと、近道をしてきた子供たちがまたぞろぞろとあらわれた。「これが落ちていた」と差し出したのは、私のデイパックの外ポケットに入っていたはずの、デジカメの予備の充電池と予備のスマートメディアを入れた巾着袋である。ほんとに重い電池が落ちるだろうか。少なくとも歩いていて落ちることはあり得ないと思う。その前におやつを食べた時にはデイパックをおろしたが、別れたときにはあの子たちは別の方向へ歩いていった。ちなみにデイパックの外ポケットにはファスナーがついているのだが、このファスナーが開いていて、一人の子が閉めてくれたが、はたしてずっとこのファスナーは空いていたのだろうか。少なくとも私は途中で開けていないが??? 「家に帰る」と行ったはずの子供たちは、その後もず っとついてきて、再び"Give me one dollar"の合唱である。ちなみにパスポート・現金・トラベラーズチェックなどは、肩から斜めに掛けたファスナーのついたポーチに入っているのだが、"Can you show me your bag?"としつこい。
 集落の中に入っても、お店はすぐそこだ、キャンディを売っているなどとうるさいが、無言で港まで行く。12時ちょっと過ぎである。あいにくちょうど船が出ていったところで、戻ってくるまで15分くらいかかった。その間も"Show me your wallet."などなど言われ続け、船が来たときはほっとした。
 「いろいろな人が島に来て案内してあげたけど、みんなお店でクッキーを買ってくれたりしたよ。」と一番小さい女の子が、おやつを食べているときに言っていた。あの子たちには無邪気さだけで悪意は感じなかったのだが、愉快でなかったことは確かである。みな10歳以下と思われるが、この子たちが成長してティーンエージャーになって、集落から離れたところまで行ってから「金をくれ」と言われたら、また違う印象を受けただろう。 この島の池には、アメリカンサモアで唯一カモが生息しているはずで、鰻もいるようだが、思うように歩けなかったのが残念だ。

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