火焼山へ登る

 翌日も雨、朝ご飯は屋台風のお店でネギと卵が入ったお好み焼きのような物、焼き餃子、大根餅に、豆乳、と大陸北部風である。豆乳は白くてちょっと甘いものと茶色くてどろっとした沖縄のミキのようなのと二種類ある。温かい飲み物をストローで飲むという経験は日本ではない。全部で80元。
 今日は火焼山に向かう。この島はもともと火焼島という名称だったのを1949年に緑島に改名した。だから火焼山はまさにこの島を代表する山である。標高わずか280mであるが、標高0mから登るのだから、意外と登りでがある。空港近くから山に入る舗装道路がある。あまり農業は盛んでないようだが、サツマイモやピーナツ、サトウキビが植わっている畑の間を通る。道路際にはイヌホオズキやクワズイモ、アカバナボロギク、カンナの野生種など、沖縄の道ばたと共通の植生が見られる。木の枝の又になったところに、黒いボール状のアリの巣があった。風で道路に落ちてしまったものも結構ある。墜落して間もないと思われるものは、中でアリが右往左往している。(左の画像)
 カナカナカナとヒグラシのようなセミが鳴き、アマガエルに似た声がする。カナヘビに似たトカゲが逃げていった。日本のカナヘビより尾が長く見えたが、長尾南蜥だろうか。トガリネズミの仲間、香鼠の死体も見られた。(右の画像) 登り口から2、3kmのところに頂上があるのだが、軍事施設で立入禁止になっている。入口近くまで行ったら、いかにも怖そうな犬に吠えられた。

 このへんはなかなかいい常緑樹の尾根や谷が連なっている。観光客があふれる港周辺の喧噪が嘘のようだ。日本と比べて、山の中にやたらと林道がない。日本なら、この面積でこの人口の「島」や「村」があったら、車の通れる道の総延長はずっと多いだろう。夜このあたりに観察に来たいものだ。
 少し降りたところから入る過山古道という石畳の遊歩道へ行ってみた。朝日温泉方面に行く歩道で、車は通れない。ところどころ木に説明がぶら下がっている。赤腹松鼠というリスが姿を見せた。先ほどの長尾南蜥より太めの印度蜥が死んでいる。(右の画像)
やがて道がずんずんと下りはじめたので引き返す。このまま港と反対側まで下っていくと、海岸線にでてからの距離がありすぎる。
 歩道の入口の階段に腰掛けて、南寮村のコンビニで仕入れたパンと缶入りジャスミンティーで昼食とする。ジャスミンティーにも砂糖が入っていてびっくりした。台湾ではお店でお金を出して買う飲み物で、甘くないものはないのだろうか。無糖ウーロン茶はあるらしいが。

 さらに下っていくと、昨日お茶を入れてくれた同宿の若者グループがバイクに乗って登ってきた。みんなお揃いの黄色い薄いビニールの合羽を着ている。合羽と言うよりは、所々に穴の開いた薄手のゴミ袋といったふうである。どこかに売っているのか、それともレンタバイクのサービス品なのだろうか。観光客の多くがこの合羽を着ている。
 道の所々に車に轢かれたのかカエルの死体が落ちているが、香鼠がその死体を食べていた。写真を撮ろうとしたら、脇の草むらに入ってしまったのだがしばらくして突然われわれのすぐそばに姿をあらわし、脇を通り抜けしようとしたのでびっくりした。結局Uターンして逃げてしまったが、フェイントをかけて側を抜けるつもりだったらしい。
 昼食が軽めだったので、空港の先(東)の集落まで歩いていって、おやつがわりに麺を食べる。食堂が何軒かあるが、この時間は二軒しか開いていない。一軒の入口で立ち止まったら、中にいた人たちが入れ入れと手招きしている。幸いにしてメニューがあった。饂飩麺40元というのは肉そぼろ入りのワンタン麺。海産麺60元というのは小エビが二匹、魚の切り身とつけ揚げ切ったものとアサリが二つ入っていて白いスープである。
 筆談でどこに泊まっているのかと聞かれた。実は漢字を見るとどこに住んでいるのかと読めたので、「日本」でいいのかな・・・と答えに迷っていたら” HOTEL”と言われて納得。民宿の名刺をもらっていたので見せると「ミンパオ」と言い合っていた。一人のおじさんが食事を終えて店を出るときに「歓迎緑島??にぃめん??」と書いて見せた。(??は思い出せない部分) 海辺まで行くと、チュウシャクシギやアオサギが見られた。雨が強くなってきた。 帰りに空港を通りかかったら、滑走路にメダイチドリとムナグロとツバメチドリが歩き回っていた。コンビニで買った木瓜牛乳は小さい頃好きだったフルーツ牛乳に似ている。

  

緑島オオコウモリ旅行の目次ページへ

世界オオコウモリ紀行の目次へ