たくさんの小錦とともに

 日本人だらけの成田ホノルル路線からHawaian airlineへ乗り換えると、重量級のお客がどっと増えた。ホノルルから南へ約6時間、赤道を越えた南太平洋の真ん中にあるアメリカ領サモアへ向かう飛行機である。

 サモア諸島は1899年12月のベルリン会議で西経171度線より西側がドイツ領、東側がアメリカ領になった。西サモアはその後ニュージーランド領をへて1962年に独立する。現在「サモア」と言った場合はこちらを指す。ここは多少は観光客を受け入れる体制があるので、日本から訪れる人も多少はいるようだ。 しかし今回目指したのは西経171度線から西の七島からなるアメリカ領サモアの方である。その中心となるツツイラ島は東西に細長く、中央に火口が沈下してできた深く切れ込んでほとんど波もこない天然の良港パゴパゴ湾がある。1872年以来ここはアメリカ海軍の太平洋地区の補給基地となっており、第二次世界大戦中は軍事的にも重要な拠点であった。

 かつて一度は観光開発をめざした残骸があちこちに見られるが、現在は観光客はアメリカからほんの少し来るくらいだろうか。ホテルもレストランもさびれてあまりまともに機能していない。日本人観光客など皆無で、出発の前に島関係やFWORLD関係の会議室で質問してみたが、ほどんど情報は集まらなかった。中国や韓国の船が来るので、ChineseかKoreanかとは何度も聞かれたが、Japaneseかと聞かれたことは一度もなかった。(いきなりニィハオと言われたこともある)

バスターミナル そんなわけで、アメリカンサモアの、中心部以外の集落へ行くと東洋人は本当に珍しいらしいようだ。大人はピックアップトラックでしょっちゅう行ったり来たりしているから、パゴパゴ湾周辺で韓国人や中国人を見ることも多いのだろうけど、ドーナツ屋で子供がわざわざそばまで歩いてきて、われわれの顔を、本当に穴があくほど見つめていたことがあった。よほど珍しい顔だったと見える。ちらちらと人の顔を窺うとか、話をするときに人の顔を見るというのは普通だが、用事もないのに人の顔をまじまじと見られる経験というのは、日常めったに無い。絶世の美女なら別なのかもしれないが。
車を持たない人の足はバス。ピックアップトラックを改造したバスが島の中心部から出ている

結婚式 アメリカン・サモアの日本との結びつきといえば、小錦だろうか。小錦はハワイへ移住しているのでハワイ出身と言われるが、生まれはアメリカンサモアだ。

 ということで飛行機は、ああいった体型をして、ラバラバという一枚の派手な模様の布を腰に巻き付けた男女がたくさん占領していた。お客は6割くらいしか乗っていないが、隣に座られると圧迫感を感じる。


←滞在中にレインメーカーホテルで結婚式があった。もはや本来の目的には使っていない、緑色の水のたまったプールを貸し切り、普段は数組しかお客のないホテルに人があふれ、バンド演奏やダンスが賑やかに行われていた。

もっとも折り詰めふうの食事が配られるとさっさと持って帰る人もぞろぞろといた。義理で来ているのだろうか。


画像はウェデングケーキを切って参加者にお裾分けしているところ。

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