地上の楽園 セイシェル

シロハラベニノジコは毎日宿の庭にやってきた セイシェルではオオコウモリをカレーにして食べるという。いやそれは後で知ったことだが、セイシェルにはそのくらいオオコウモリがたくさんいるらしい。アフリカといってもマラリアも黄熱病もないし、治安も政治も不安はなさそうだ。ということで、初めてのアフリカ旅行はセイシェルになった。

 現地の人の発音を聞くとseychellは、日本語のように「セイシェル」と聞こえる人もいるし、seashellと聞こえる人もいる。カナダ人の英会話の先生は、昔オリンピックの入場行進で、seychelと聞いて「seashellなんて国があるんだ」と思ったという。インド洋に浮かんだ海の貝殻なんてなかなかロマンチック。

 セイシェルの島々はもともと無人島だった。1700年代からフランスが何度か探検隊を送り領有を宣言した。現在は絶滅しているが、このころは身の危険があるほどワニが生息していたようだ。

 その後、木材の伐採と陸亀(足を食用にしたようです)の採集とスパイス農園と、アフリカからモーリシャスへ奴隷を運ぶ寄港地として本格的な入植が始まる。1784年から1789年の間に巨大陸亀がマヘ島から13000頭も送り出されたという。フランス料理には海亀があったと思ったけど、食べられてしまったのだろうか。

 それまでセイシェルは同じくフランス領モーリシャスの総督が治めていたが、フランス革命の最中の1790年に、独自の議会・委員会を設立。
 ナポレオンの時代にイギリスとフランスは戦争に入り、セイシェルにもイギリス船が入港。当時の統治者は、降伏を受け入れ、セイシェルは英仏共同統治となった。中立を保ったため、戦争中セイシェルは英仏両方の船の補給地となり、平和を保つことができた。とはいってもイギリス商船から略奪するフランス公認の海賊なんてのもいて、その隠れ家でもあったようだ。どこにでもある、宝を埋めた伝説もある。
 しかしやがてこの公認海賊が目障りになり、またインド洋での戦略上の利点のため、1810年イギリスはモーリシャスを完全に奪い取り、セイシェルは自動的にイギリスの管轄下になる。(正式には1814年)
 奴隷売買はイギリスでは違法であるが、セイシェルではプランテーションの労働力に必要と言うことで、イギリス統治下に入っても黙認されている。 
 1935年にやっと奴隷制が禁止され、ココナツプランテーションの労働者としてかつての奴隷たちは雇われることとなり、その後も職を求めてアフリカやアラブやマレーシア、インドなどから移住してきた人たちが現在のセイシェルをつくっている。

 早口言葉です、一息で5回どうぞ。
She sells seashells on the seashore in the Seychelles

1 セイシェルの雨期ははんぱじゃない
2 オオコウモリの実る植物園
3 市場にて
4 ドアのある車が欲しい
5 本物のコーヒーが飲みたい
6 1US$=
7 元旦の結婚式
8 テンレックの夜
9 天国への道のり
10 天国の挨拶はフランス語
11 通り過ぎていったのは
12 I've left behind my bag!
13 セクシーなヤシの木
14 黒いオウム
15 セイシェル時間
16 天国からの帰還

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